ありがとう
地震があり、その影響で勉強会(「五條橋」。男性陣に混じり、あの曲を弾くという恐れ多い番組でございました。練習、下浚いと積み重ね…あんなに消耗したのは初めて。裏を返せば、あれほど集中したことがかつてなかったということでしょうか。反省、そして今後の糧に!)が中止になり、緊張の糸が緩んだところへ、愛犬まいっちの具合が悪くなり…。
3月24日、まいっち永眠。腎不全を患い、14歳と5ヵ月14日の命だった。人間でいえば70代半ばになる頃。見た目は最期まで子犬のようだったけど、しっかり老年にさしかかっておりました。
具合が悪くなってちょうど7日で絶命。ギリギリまでご飯を食べたし、入院中も獣医さんが驚くほど目に力があり、血液検査の数値からはあり得ないほど元気で。前回のこのブログの記事を見ると、亡くなった日の前夜に更新。あのときは、退院できると思っていた。具合はよくないけど、少しは落ち着くと先生も私も思っていた。しかし、容態は急変し、眠るように…。吐いたり、もらしたり、苦しんだりする姿を見せず、きれいなままで旅立ったまいちゃん。それは、あなたのプライドだよね? きれい好きだったもんね。汚い姿を私に見せたくなかったのかなと思う。ふだんから具合が悪くても、無理していたのかもしれないと思うと本当にせつないし、もっと早く病気に気づいていたらと悔いが残る。でも、悔いてばかりではいけない。新たな旅に出るまいっちをきちんと送ってあげなければ。
まいっちは立会個別火葬に出した。ポメラニアンの中ではやや大柄だった彼女はやはり骨太で、尻尾の先まできれいに骨が残っていた。5mmほどの小さなパーツも絵に描いたような、いわゆる骨の形。喉仏も大きく、立派なお骨だったことに感心。個別火葬に出し、骨上げまできちんとしたことで、なにか気持ちが吹っ切れた。悲しいけれど、清々しいような不思議な感覚。これが、彼女の死を受け入れるということなのだろうと思った。
地震、愛犬の死とまさに怒涛の日々だった、2011年の3月。私の中で、いろいろなものに対する価値観が変わったように思う。生物もそうでない物もきわめて脆く、儚いもの。あっという間に崩れ、なくなってしまう。無常感というか、儚さに思いを巡らせ、命ってなんだろうといろいろ考えたり。けれど、時間は止まることなく流れ、日常が過ぎていく。いろいろなものに感謝し、毎日を大切に過ごさなくては。前をしっかり見て、歩いていこう。こう思うようになったのも、まいちゃんのおかげだと思っている。
ありがとう、まいっち。
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